つれーときにするツイート
風呂に浸かってる時とか、布団に沈んでいるときとか、思考を働かせる以外やることがない時にどんどん気持ちがつらい方向に向いていくことが最近多くなった
でもいざこうやってブログとかに文字でつづろうとすると全然言葉にならない
その程度のことなら別にほっといてもいいのかもしれないけど、つらくなる原因を理解できずにそれを引きずり続けるのとどっちがマシなのだろうか
家族が結婚式の招待状を受け取ったのを見て、「俺は結婚する相手もいないし、なんなら結婚式に招待されることも生涯でないだろうね」と自虐を言ったのだけれど、数日経ってから自分の発言がぐさぐさと刺さり始めてきている
大人になって社会に溶けて伴侶を見つけて死んでいく人生が、最近だとあんまりそういうことにこだわらない若年層がまあまあ増えているらしいけど、一般的に当たり前と言われる生き方についていけないことを、ある日突然自身に突き付けられるのが耐えられないから、周りについていくために、周りに置いて行かれないためにまともな人間を目指す人もある程度いるんじゃないかと思った
まともな人間というのは、趣味があって社会的に見下されない立場にいて世帯を持って誰かに慕われて酒を飲み酒を飲ませる人間のことだと思っているが、この辺りの定義について細かく話すとそれだけで一万文字くらい書けるな
でもまあもし自分がまともな人間を目指すとしても、他人に見栄を張るためにやりたくもない趣味を作って、誰かを蹴落として席を奪って人の上に立ち、人権を得るために相手の人生を潰して、使い捨ての人的資産になって、飲みたくもない酒を飲んで薬にもならない酒を誰かに飲ませるのなら、真にまともな人間に対して失礼だし、結局手段と目的がまぜこぜになっているので試したところでむなしい結果になるんだろうなと
最近、とても寂しい
自分の周りの、大雑把にくくるとフォロワーが、趣味があって社会的に見下されない立場にいて世帯を持って誰かに慕われて酒を飲み酒を飲ませる人間になっていくので
そういう人と関わる機会が減ったから寂しいのではなく、仮に毎日バカみたいな話ができたとしても寂しいんだな、おれはそちらの世界に行けていないので
インターネットって世界の掃きだめだと思ってたんですけど意外とキラキラしてるんですね こう考えたら世界も捨てたもんじゃねえな
どうか燦然と輝く世界の中で俺が狂いませんように
おやすみ